2016年07月

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    昨シーズンのEL王者セビージャは、現在ドイツでプレシーズンツアーを行っている。

    28日、サントハウゼンとの練習試合を行ったのだが、その試合後、MFビトーロがこんな動画を公開していた。

    「歌を歌いまーす!」と言って椅子に立ったのは、新加入の清武弘嗣。

    海外のサッカーチームでは新人選手が食事などの場で歌声を披露するのが恒例となっている。

    どうやら清武はこの日“儀式”を行ったのだが、選曲はまさかの「君が代」!

    清武はかなり恥ずかしそうにしながらもしっかりと歌いきり、セビージャの選手たちを爆笑させたのだった。これでチームメイトの心はバッチリ掴んだ?!

    ビトーロのツイートを引用する形で、清武は悲しげな絵文字を3つツイート。やはりよほど恥ずかしかったのだろうか…。

    なお、右内転筋の肉離れでプレシーズン期間中の離脱が濃厚と報じられていた清武だが、チームには帯同しており個人メニューをこなしているようだ。

    2016/07/29 07:17
    http://qoly.jp/2016/07/29/hiroshi-kiyotake-20160729


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    近年、男の子の「なりたい職業ランキング」でトップに君臨するのが、「サッカー選手」だ。
    しかし、プロサッカー選手たちの現状は、キラキラしたものではないのかもしれない。
    2016年の日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)1部の選手の平均年俸は、2017万円。これが2部(J2)になると各段に下がり、平均年俸は400万円強。
    さらに3部(J3)では、平均値が算出できないほど危うい状況になっていく。

    J3のクラブチームは、「プロ契約選手の保有人数が3人以上」という規定になっており、プロとアマチュア(無報酬)の選手が入り混じっている。
    プロ契約でも年俸の下限はなく、ほとんどの選手がアルバイト(副業)をしながらプレイしているのだ。
    しかも、引退後のセカンドキャリアはさらに厳しいという。

    子供たちの「夢」を叶えたはずの男たちに、どんな「現実」が待ち構えているのか。
    昨季までJ3の横浜スポーツ&カルチャークラブ(Y.S.C.C.横浜)でプレイし、現在はリクルートキャリアに勤務する服部大樹氏に話を聞いた。

    ●月収は20万円弱

    桐蔭学園、早稲田大学で活躍した服部氏は、14年にJ3リーグへ参入したY.S.C.C.横浜とプロ契約を結び、2年間プレイした。
    Y.S.C.C.横浜のプロ契約選手は初年度が4名、2年目が8名で、ほかの選手はアマチュア契約だったという。

    「プロといっても、給料は驚くほど低かったです。チームメイトがいくらで契約をしていたかは知りませんが、
    全員が何かしらの副業をしていました。私の月収はアルバイト込みで20万円弱でした」(服部氏)

    月収の内訳は、チームからの支給が週に1回のスクールコーチ代込みで12~13万円、他チームのスクールコーチ代が3~4万円、
    空き時間にしていたテレアポのアルバイトが1~2万円だった。

    プロサッカー選手になれたとしても、年俸の上限がない「プロA契約」は1チーム原則25人までと人数が限られている(J1チームは15人以上、J2チームは5人以上)。
    「プロB契約」と、「プロC契約」の年俸は、上限が480万円。その結果、J2ではサラリーマンの平均年収ほど、J3ではフリーターのような稼ぎにしかならないのだ。

    しかも、Jリーグの平均引退年齢は25~26歳。一部のトップ選手を除けば、プロ契約を結んでもサッカーでリッチな生活を送るのは難しい。

    http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160729-00010007-bjournal-soci
    Business Journal 7月29日(金)6時2分配信

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    20160729-00000035-goal-000-2-view

    マンチェスター・ユナイテッドのジョゼ・モウリーニョ監督が、
    MFバスティアン・シュバインシュタイガーをはじめとする9選手に戦力外通知をしたという。イギリス『デイリー・メール』が報じた。

    報道によると、9選手は指揮官から個別に戦力外を言い渡され、
    トップチームではなくU-21チームと練習。30日に行われるガラタサライとの親善試合にも起用されないとのことだ。

    モウリーニョ監督はシュバインシュタイガーのほか、
    若手のDFキャメロン・ボースウィック=ジャクソンとMFティモシー・フォス=メンサーにも、新シーズンの構想に入らないと通達。
    MFアンドレス・ペレイラには、将来的なポジション獲得を競うべく、トップチームで出場できるチームへのレンタル移籍を伝えたという。

    FWジェームズ・ウィルソンはツアー前に指揮官と会い、長期的には構想に入っており、
    残留してU-21でプレーする可能性はあるが、本人が望むならレンタル移籍が可能と伝えられたそうだ。

    そのほか、MFアドナン・ジャヌザイ、FWウィル・キーン、DFタイラー・ブラケット、
    DFパディ・マクネアが戦力外になったとみられている。

    シュバインシュタイガーはユナイテッドと2年の契約を残している。

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160729-00000035-goal-socc

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    20160728-00473257-soccerk-000-1-view

    現在アメリカのアトランタでリオデジャネイロ・オリンピックに向けたキャンプを行っているナイジェリア代表、通称『ドリームチーム』。

    しかし、以前からナイジェリアサッカー連盟は深刻な資金難に襲われており、オリンピックに向けた準備にも問題が発生している。

    その中で報じられたのが、五輪代表チームのスタッフに対する給与などが遅れていることから、ボイコットもありえるのではないかという噂だった。

    これらの状況についてサムソン・シアシア監督は以下のように話し、5カ月間も給与を受け取っていないという危機的状況にあると明かした。

    「我々はアトランタで苦しんでいる。トレーニングキャンプに入ってから、我々は何の資金も受け取ることができていないんだ。そして、私は過去5カ月にわたって給与を受け取っていない」

    「我々は試合を行わないと国に脅しをかけているわけではない。しかし、政府は我々を助けなければならない。オリンピックが終わってしまう時が来ていると思う。我々にお金が支払われなければね」

    SOCCER KING 7月28日(木)16時44分配信
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160728-00473257-soccerk-socc

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    【スコア】
    ドルトムント 1-1(PK:5-6) マンチェスター・C

    【得点者】
    0-1 79分 セルヒオ・アグエロ(マンチェスター・C)
    1-1 90+6分 クリスチャン・プリシッチ(ドルトムント)

    Goal.com
    http://goo.gl/GDYano

    インターナショナルチャンピオンズ杯の中国ラウンドが28日、深センで行われ、
    MF香川真司の所属するドルトムント(ドイツ)はマンチェスター・シティ(イングランド)と対戦した。

    香川は後半開始から途中出場。0-1の後半アディショナルタイムに同点ゴールをアシストした。
    1-1で90分間を終えると、大会規定に伴い、PK戦に突入。PK6-5でシティが勝った。

    ドルトムントは前半5分、相手GKのキックミスを奪ったMFウスマン・デンベレがそのままフィニッシュに持ち込むが、
    DFニコラス・オタメンディがスライディングでブロック。同18分にも相手のパスミスからデンベレが右足ミドルを狙ったが、クロスバーを越えた。

    0-0で前半を折り返すと、両チームとも後半開始のタイミングで大幅に選手を交代。
    ドルトムントは香川のほか、MFゴンサロ・カストロ、MFスベン・ベンダー、MFクリスティアン・プリシッチらがピッチに入った。

    シティもFWセルヒオ・アグエロ、MFダビド・シルバ、MFヤヤ・トゥレらが後半開始から登場。
    後半34分、スルーパスに反応したシルバの横パスをアグエロが右足で流し込み、先制点を奪った。

    後半アディショナルタイム、相手ゴール前でこぼれ球を拾った香川がPA内に切れ込むと、
    後方からMFフェルナンジーニョに倒されたようにも見えたが、ホイッスルは鳴らなかった。

    このまま試合終了かと思われたが、アディショナルタイム6分に左CKのショートコーナーを受けた香川がタメてマイナスのパス。
    これをプリシッチが右足で流し込み、同点ゴールとなった。

    1-1でタイムアップを迎えた試合はPK戦に突入し、お互いに1人目のキッカーが止められたが、その後は6人目まで全員が成功。
    香川も2人目のキッカーを務め、冷静にゴール右へ決めた。PK戦はサドンデスに突入し、7人目はまたも両チームともにGKがセーブ。
    ドルトムントは8人目のMFミケル・メリノもGKに止められ、PK5-6で敗れた。

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    采配ミスにも不満

    バイエルンは今季からジョゼップ・グアルディオラからカルロ・アンチェロッティへと指揮官が代わったが、
    これに最も喜びを表したのはバイエルンFWフランク・リベリだった。

    リベリはアンチェロッティの下で再び自由にやれるとコメントし、
    前指揮官のグアルディオラよりもアンチェロッティの方を好んでいることを明かした。

    では、リベリはグアルディオラのどういったところに不満を感じていたのか。

    スペイン『as』によると、リベリはグアルディオラについて
    「グアルディオラは若い指揮官で経験が足りていない」とコメントしており、経験の浅さからくる采配ミスにストレスを溜めていたようだ。

    リベリが例に出したのは昨季のチャンピオンズリーグ準決勝アトレティコ・マドリード戦だ。
    バイエルンは相手のサウール・ニゲスのスーパーゴールもあり、3季連続で準決勝敗退の屈辱を味わうことになった。

    リベリはこの準決勝について「チャンピオンズリーグの準決勝ではミスは許されない。ミュラーは先発じゃなかったし、
    ボアテングは負傷から回復しているところで、スタンドから見ているべきだった」とグアルディオラの采配への疑問を口にしている。

    この試合では1stレグでFWトーマス・ミュラーがベンチスタートとなり、リベリはこうした判断に疑問を感じていたようだ。

    また、グアルディオラ独特の哲学についても
    「彼は話しすぎるんだ。フットボールとはもっとシンプルなものだ」とコメントし、理論的すぎるスタイルに合わなかったことを明かしている。

    グアルディオラはこれまでもズラタン・イブラヒモビッチなど数名の選手との関係が崩れてしまったが、
    バイエルンではリベリが不満を溜めていた。

    リベリはアンチェロッティのようは指揮官が必要だったと歓迎しているが、自由なアンチェロッティの下で再び復活を果たすのか。

    theWORLD(ザ・ワールド) 7月28日(木)17時13分配信
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160728-00010029-theworld-socc

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    マンチェスター・Uのオファーはユーベが満足できるレベルに。

     ゴンサロ・イグアインの獲得の次は、ポール・ポグバの売却――。ユベントスのメルカートが一気にホットになっている。
     
     ポグバの古巣であるマンチェスター・ユナイテッドは、代理人ミーノ・ライオラと先週の段階ですでに年俸1300万ユーロ(約15億6000万円)+ボーナスの5年契約で話がまとまった。ユーベはこの個人合意を受けて、7月19日からクラブ間交渉に入った。
     
     ユーベはマンチェスター・Uのファーストオファーである移籍金1億100万ユーロ(約121億円)を拒否。増額を求めた。
     
     するとマンチェスター・Uは今週に入って、1億2000万ユーロ(約144億円/1億1000万ユーロ+ボーナス1000万ユーロ)、そして契約書に記載されているライオラに支払うマージン(移籍金の20%)も負担するという、大きく譲歩したオファーを出してきた。
     
     同じく契約書に「ユーベが一定額を上回る正式オファーが届いたにもかかわらず拒否した場合には、同じくその額の20%をライオラに支払わなければならない」という特記事項を抱えるユーベにとって、マンチェスター・Uのオファーはほぼ満足できるもになった。
     
     ポグバとライオラはマイアミでバカンス中で、マンチェスター・Uは米国でメディカルチェックを受ける手配を整えている。7月29日までに世紀のビッグディールが正式決定する可能性は低くない。
     
     イグアインを9000万ユーロで獲得し、ポグバを1億2000万ユーロで売却――。今夏のユーベはいつになく派手な動きを見せることになる。

    ユーベが手に入れる利益はかつてない数字に。

     このディールがこのまま本当に成立すれば、マンチェスター・Uにとってはとんでもない売買差益となる。
     
     若さゆえの過ち、ではない。その若さを理由に抜擢を躊躇したがゆえの過ちだ。偉大なるサー・アレックス・ファーガソン元監督が、そのキャリアの中で犯した最も大きなミスのひとつになるだろう。
     
     2009年、マンチェスター・Uはル・アーブルのアカデミーから15歳のポグバを発掘し、たった20万ユーロで獲得した。しかし、ユースチームで抜群の活躍を見せたにもかかわらず、トップチームでの出場機会の少なさに業を煮やして本人が契約更新を拒否。2012年、移籍金ゼロでユーベに逃げられてしまった。手元に残ったのは、ユーベがお情けで払ってくれた育成費100万ユーロだけだった。
     
     あれから4年、そのポグバを呼び戻すために、マンチェスター・Uは1億2000万ユーロというサッカー史上最高額を用意。ユーベが手に入れる利益は天文学的な数字になる。
     
     他のクラブでブレイクしたタレントが、育成年代を過ごしたクラブに買い戻されるというケースは、過去にもいくつかあった。もちろん、いずれもポグバほどの損益は出ていないが……。
     
     例えばバルセロナだ。525万ユーロでマンチェスター・Uに売ったジェラール・ピケを4年後に500万ユーロで呼び戻したケースはいいとしても、320万ユーロでアーセナルに売ったセスク・ファブレガスは8年後に3400万ユーロで買い戻す羽目になった。
     
     バイエルン・ミュンヘンも今夏、かつてわずか420万ユーロで手放したマッツ・フンメルスの買い戻しに、3800万ユーロを投じなければならなかった。売買差損はまったくバカにできない金額に上っている。
     
     同じ買い戻しでも、逆にほくそ笑んでいるのはドルトムント。3年前に3700万ユーロでバイエルンに売ったゲッツェを、今夏は2600万ユーロで買い戻したのだ。とはいえそのドルトムントも、育成年代に移籍金ゼロで手放したマルコ・ロイスを、7年後の2012年に1710万ユーロで獲得した。
     
     若手のポテンシャルと伸びしろを見極めるのは、誰にとっても難しいということだろう。

    http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160728-00017748-sdigestw-socc

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    スタメン 




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    浦和FW武藤雄樹(27)は試合後、よくスタンドに向かって手を振っている。これ自体は、他の選手もよくやっていること。試合会場に招いた家族や友人に、観戦してくれたことへの感謝を伝えている。しかし武藤の場合は、少し違う。

     チームがいつも全体練習を行う大原サッカー場では、訪れたファンとよくこんなやりとりをしている。「こないだ、埼スタで手を振ったのに、気づいてくれないんですもん」。これは、ファン側の言い分ではない。武藤がそう言うのだ。

     試合後、スタンドの各方向に一礼するため、選手たちは場内を1周する。その時、武藤は大原で見かけたファンを見つけると、自分の方から手を振る。

     たいていのファンは、自分に手を振ってくれているとは思わないから、つい「スルー」してしまう。そのため後日、大原で前段のようなやりとりが見られることになる。

     見たことがあるファンでなくても、手を振ってくれれば、可能な限り手を振って返す。武藤がそうするのには、理由がある。

     ◇   ◇

     武藤が神奈川・座間市立立野台小学校の低学年だったころ、遠足で横浜市内に出掛けたことがあった。担任に引率され、通りを歩いていると、黄色い大型バスが走ってきた。

     柏のチームバスだった。すでにサッカー少年だった武藤は、クラスメートとともに色めき立った。「Jリーグのバスだ!」。

     ちぎれそうな勢いで手を振ると、バスの中から何人かが振り返してくれた。

     うれしかった。興奮した。「今、ボクたちに振ってくれたんだよね!」。何度も確認し合った。

     ◇   ◇

     「あれがずっと忘れられないんですよね。試合や練習を見に行く機会がなかった分、一番の思い出かもしれません。僕らサッカー少年にとって一番のあこがれ。その人たちが、手を振り返してくれたんですから」

     武藤はなつかしそうに振り返った。目の前を一瞬で通り過ぎたので、どの選手が手を振り返して来たのか、確認しきれなかった。「でも、西野朗さんだけは覚えています。当時柏の監督だったんですよね」。端正なマスクが、ガラス越しにこちらに向けられた瞬間を、はっきりと思い出す。

     ◇   ◇

     理由はもうひとつある。浦和移籍後、武藤は大学の先輩に当たるMF宇賀神らとともに、アーティストのライブを見に行く機会が増えた。

     ステージ上のアーティストに、思わず手を振る。ごくたまに、自分たちに手を振り返してくる。

     「ウガさんとも話すんですけど、手を振り返してもらえると、本当にうれしいんですよね」。そして、柏のチームバスに手を振った当時の「ファン目線」に立ち返る。

     「ライブが終わった後、自分もいつも笑顔でちゃんと手を振り返したいと、あらためて思いました。試合に勝っても、自分のプレー内容に納得いかない時は、手を振るような気分になれない時もありました。でも、応援に来てくれたみなさんは、素直に勝利を喜んでくださって、笑顔で手を振ってくれます。それにはちゃんと応えないと」

     そうすることでサッカーやJリーグ、浦和を一生好きでいてくれるかもしれない。そう思って、今日も武藤は笑顔で手を振る。「ついでに、武藤雄樹も好きになってくれるといいんですけどね」。最後にひと言、照れ隠しのように付け加えて笑った。

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160728-00000117-nksports-socc

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    オーバーエイジの3人を除き、「23歳以下」という年齢制限が設けられているオリンピックの男子サッカー競技。ここでの経験を糧にこの先のA代表(年齢制限のない日本代表)選出、ヨーロッパのクラブへの移籍を目指す日本の若き選手たちの中で、すでに代表デビューを果たし、ザルツブルクの一員としてヨーロッパの舞台で戦っているのが、21歳の南野拓実だ。

     セレッソ大阪の下部組織で育ち、高校生だった2012年に二種登録選手としてJ1デビューを果たした。2013年には晴れてトップチームに昇格し、高卒ルーキーとしてクラブ史上初めて開幕戦のスタメンに選出。シーズンを通してレギュラーとして活躍した。

     2013年と言えば、同じくC大阪の下部組織で育った先輩たち――柿谷曜一朗、山口蛍、扇原貴宏らがA代表デビューを果たし、C大阪の選手育成がおおいに注目を集めたシーズンだ。しかしその頃、育成部門の最高責任者を務めていた宮本功氏は当時の高卒ルーキーに対してこんな風に言っていた。

    「我々が『こういう選手を育てたい』という理想像を最も体現しているのは、実は拓実なんです。スピードもあって、クイックネスもあって、走れる。攻守両面に関わり続けることができて、周りも見られる。曜一朗は確かにスーパーだったけど、レギュラーになるのに必要なものを身に付けるまで7年かかった。でも、拓実は1年目ですでにすべてを備えているんです」

     プロ2年目の2014年には、そのプレーで日本代表のアルベルト・ザッケローニ監督を唸らせ、ブラジル・ワールドカップのメンバー入りこそ逃したが、バックアップメンバーに選出。シーズンを終えると、欧州チャンピオンズリーグの常連で、オーストリアの名門クラブ、ザルツブルクへと旅立った。

     もっとも、2014年に立ち上げられたリオ五輪日本代表(当時はU-21日本代表)では、これまで常に主役を演じてきたわけではない。

     2014年は、ひとつ下の年代別代表チームにあたるU-19日本代表の活動を優先。2015年に入ると、今度は活躍の場をヨーロッパに移したため、リオ五輪日本代表(当時はU-22日本代表)に合流する機会がほとんどなかった。

     そうした事情もあって、チーム戦術を自分のものにする時間がほとんど取れないまま迎えた今年1月のリオ五輪アジア最終予選。チームは準決勝でイラクを下して6大会連続となるオリンピックの出場権を獲得したが、南野自身はノーゴールのまま準決勝を終え、ザルツブルクの要請によって離脱が決定。「個人的にはゴールが取れなかったのが残念。優勝をみんなに託して帰りたいと思います」という言葉を残してチームを離れた。

     一方、2シーズン目を迎えたザルツブルクでは「シュートレンジを広げて、サイドからでも得点を奪う」ことを目標に掲げ、シーズン前半で7ゴールをマーク。アジア最終予選を挟んで迎えたシーズン後半にも3ゴールを積み重ね、「ノルマだった」というふた桁ゴールに到達。再び合流したリオ五輪日本代表(U-23日本代表)でも、3月のメキシコ代表戦、5月のギニア代表戦でゴールをマークする。最終予選が終わってから「このチームで自分がどうすれば生きるのか、すごく考えた」ことで生まれたゴールだった。

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