ジーコ

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    元ブラジル代表のジーコ氏は、リオデジャネイロ・オリンピックで苦戦する同国五輪代表のキャプテンをバルセロナFWネイマールに任せるべきではなかったと考えているようだ。

    過去に獲得経験のない五輪金メダルを手に入れるため、必勝の思いで自国開催のリオ五輪に臨んだブラジル代表だが、ここまでの戦いは振るわない。南アフリカ、イラクを相手に2試合連続のスコアレスドローに終わり、勝ち点2の獲得にとどまっている。

    A代表のエースでもあるネイマールはオーバーエイジ枠でチームに加わり、キャプテンも任されているが、適切な人選ではないとジーコ氏は主張している。ブラジル『グローボエスポルチ』などが同氏のコメントを伝えた。

    「我々のチームのキャプテンは、キャプテンとなるための最低限の条件を満たしていない。彼はサッカーをプレーすることだけに集中するべきなんだ」

    ブラジル代表としてホームでプレーする重圧を言い訳にすることはできないとジーコ氏は述べている。

    「逆だよ。今のユニフォームは非常に軽いものだ。重いユニフォームなど存在しない。観客を味方につけてブラジル代表としてホームで戦うのは、誰もが望むようなことだ。何が重荷になるというんだ?」

    「優れた選手なら、サポーターを味方につけて戦うことができるはずだ。セレソンとしてここでプレーできる能力と喜びを示さなければならない。ユニフォームが重いとかプレッシャーとか、そういう言い訳を私は受け入れられない」

    10日にはグループステージ最終節のデンマーク戦に臨む。ここでも勝利を逃せばグループ敗退の屈辱を味わうことになるかもしれない。

    「ブラジルサッカーの持つ意味を考えれば、敗退することになれば恥だ。だがここ数年、ブラジルのサッカーが経験してきたことは恥ばかりだった。またひとつ新たな恥が加わることになる」

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160810-00000010-goal-socc

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    【話の肖像画】サッカー指導者・ジーコさん

     〈1989年にフラメンゴを引退。だが91年に現役復帰し、当時日本リーグ2部だった住友金属に入団した。
    その後、Jリーグが発足し、鹿島アントラーズでプレー、日本サッカー界に貢献した〉

     私が日本でプレーし始めた当時、日本のサッカー界はあらゆる意味でプロフェッショナルではなかった。
    一部の選手は会社員だったしね。Jリーグが創設され、選手たちは真剣にサッカーのことを考え始めたんだよ。

     サッカーで最も大事なことは、自分で考えてプレーすること。創造性が最も必要なんだ。
    だけど日本の選手たちは、ミスをすることを極端に恐れていたね。それは日本の文化であり、
    学校教育の問題なのかもしれないと考えている。ミスをしたら、監督は別の選手を使おうとする。
    監督がミスをした選手を殴ることがあるということも聞いたよ。でもそれでは選手は萎縮してしまい、
    思い切ったプレーができない。ドリブルをしてミスをしたら、ボールを奪いにいけばいいんだ。
    試合にはミスがつきものさ。自分で試さなかったら何も生まれない。この世に完璧な人間はいないんだよ。

     日本の選手からよく、試合でどうしたら良いかを聞かれた。日本人は他の人から教えられるのが好きだね。
    結局は全てのことを自分で考えて行動するしかないんだ。判断力が最も大事なんだよ。もしミスしてしまったら、
    今度はミスしないように練習を重ねるしかない。その繰り返しでうまくなるんだよ。

     〈2002年には日本代表監督に就任。06年ドイツW杯でブラジル代表と対戦した〉
     私はプロとしてあの場所にいたわけだから、日本のために仕事をすることしか考えていなかった。
    選手たちにはこう言っていたんだ。「私はブラジル人だから、ブラジルの国歌が流れたときはブラジルのことを考え、
    国歌を歌う。だけどブラジル人であることはそれまで。そのときが終わったら、日本のために全力をささげる」とね。
    でもこういうことは私だけが特別な体験ではないんだよ。ポルトガル代表を率いたルイスフェリペ・スコラリも
    ブラジルと戦ったし、ブラジルでは珍しいことではないんだよ。

     〈ドイツW杯ではチームの主力だった中田英寿選手が大会後に引退した〉
     彼は本当にすばらしい選手だった。日本サッカーの歴史上、ベストプレーヤーだと思っている。
    持ち前のテクニックだけでなく理解力にも優れていて、どんな練習でもその目的を悟るのが早かった。
    欧州の名門チームでプレーしていたから、アドバンテージがあったんだね。適応力もあったし、
    他の選手たちとは違っていた。完璧な選手だったと思う。日本代表にとっては最も重要な選手だった。

     〈日本を去ってから10年がたった〉
     最近は日本の試合を詳しく見ていないけれど、日本人にとって問題なのは、相手チームが1点をとったら
    全てが崩れてしまうこと。自信をなくしてしまうのかな。この点は鍛える必要があるね。強化するためには
    心理学者をチームに入れることだね。選手たちと一緒に生活をして、その都度、カウンセリングをして
    選手一人一人に自信と安心感を与える。チームを一つにするために心理学者の力は重要だね。そして、
    チームスタッフはがんばっている選手を信頼しなくてはいけない。絆と一体感がチームを強くする。(聞き手 佐々木正明)

    産経新聞 7月27日(水)17時5分配信
    中田英寿は最高の選手だった ジーコが考えるサッカーで最も大事なことは…
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160727-00000511-san-socc

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